俺は横澤を名前で呼んだことはない。
勿論ひよもだ。
でもわかは平然と呼び捨てした。
俺が一番に横澤のことを名前で呼びたかったのに。
横澤も横澤で、呼び捨てを許容するような態度をとるし。
俺はイライラしてきたので、食器を洗い終えた横澤と入れ違いでリビングを後にし、自室に籠もった。
数時間後、部屋を出るとリビングで横澤とわかが話しているようだったので、聞き耳をたててみた。
「わか、俺は、お前が余所者の俺に懐いてくれて嬉しいんだが、…その、呼び捨ては流石に…な。」
「どうして??…禅には呼ばれてないから??」
「どうしてそう思うんだ??」
「禅があんなに他人に干渉なんてしないからさ。私が『たかふみ』って初めて呼んだ時の禅の様子…すんごくイライラしていたし。だからたかふみは禅の『特別』なんじゃないかなってね。…それにさっきリビング出てったのも、ただ単に拗ねたんだと思うよ。」
わかは俺と似て観察力が高いから、俺がイライラしていたのも察知していたらしい。
「…俺もそれはわかっている。だからまずはわかと話さなきゃなと思ってな。」
「しょうがないなぁ…そしたら、『ふみにぃ』で良い??隆史兄ちゃんの略ってことで。」
「あぁ。すまんな、わか。」
「ふみにぃが私のこと嫌いにならないならこれくらいは我慢するよ。…禅とも仲直りしてね。拗ねるとめんどくさいし、禅のやつ。」
「あ、あぁ…わかった。」
わかはもう寝る、と言って立ち上がったので、俺は静かに自室に戻った。
少しして、横澤が遠慮がちに俺の寝室へ入ってきた。
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何で俺が桐嶋さんのご機嫌取りを…とは少し思ったが、わかとの約束があるわけで。
…何より桐嶋さんには名前で呼ばれたことがないのに、わかに先に呼ばせてしまったのはまずかったかもしれない…という気持ちもあった。
だから仕方なく…と自分に言い聞かせ、桐嶋さんの寝室を訪れた。
「なに、横澤。」
少し突き放すような口調。
やっぱりまだ怒っている。
しかしここで怖気ついてはいけない。
「その…もうわかには名前、呼ばせねぇよ。」
「別に俺は気にしてない。」
「あんなにわかに言っていたのにか?!」
「…。」
今回の桐嶋さんはどうやら厄介みたいだ。名前を呼ばせたのが相当まずかったようだ。
(仕方ねぇな…)
俺は意を決して、桐嶋さんにこう言った。
「…禅。」
言った瞬間、体中の血液が沸騰したかのように全身が熱くなった。
穴があるなら是非とも入りたい。
呼んだ後もなお沈黙が続いたので、ゆっくりと桐嶋さんの方を見てみた。
すると桐嶋さんは驚いて固まっているようだった。
「お、おい、何か言えよ…!!」
すると魔法が解けたかの如く桐嶋さんは動きだし、俺をいつも以上に抱き締めてきた。
「有り難う…隆史。死にそうなくらい嬉しい。」
「ぶ、物騒なこと言うなよ…。」
だいぶエネルギーを削ったが、あんなに喜んでくれるなら…たまに、極々たまになら呼んでやってもいいか…と俺は思うのだった。
「好き、隆史。」
「…お、俺も…、禅。」
こんなふうに言えるようになるのは、もう少し先の話。
[6回]
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